
あっさりと1打席目で決めてくれました。
ヤクルトの宮本慎也選手が4日、神宮球場で行われた広島戦で福井優也投手からセンターに抜ける安打を放ち、通算2000安打を達成しました。
雨が降りしきる中、2回無死一塁。1ボールから広島・福井の低めの直球をたたくと、打球は遊撃・梵の右脇を抜けて中前へ。
「投手の足元を狙って打ち返そうと思った。センター返しで決められて良かった」。
チケット完売で満員スタンドから3万3866人の大歓声が宮本を祝福しました。
一足早く4月28日に2000安打を達成した日本ハム・稲葉篤紀選手とは、ともに94年ドラフトでヤクルト入りしたプロ同期生。苦しい練習に耐えてきた2人の記録達成は、くしくも同じ1976試合目となりました。
2000本安打は40人目(日米通算のイチロー、松井秀喜、松井稼頭央を除く)。
41歳5カ月での達成は、当時巨人に所属していた落合博満の41歳4カ月を抜いて、史上最年長。
ヤクルトでは05年4月の古田敦也さん以来4人目となります。
宮本は大阪府出身。大阪・PL学園高、同大を経て、社会人野球プリンスホテルから94年のドラフト2位でヤクルト入りした。プロ初安打は95年4月13日の中日戦(神宮)の八回にキクから。大学・社会人を経ての達成は古田(立命大、トヨタ自動車)に次いで2人目になります。
入団当初から買われていたのは守備で、打撃面で大きな期待がかけられることはなかった。自身もプロ入りに「守備を買われて入った」と認めており、当時の野村克也監督からは“専守防衛”すなわち“打てずに守るだけの人”として「自衛隊」と皮肉られていたほどでした。
それでも1999年に臨時コーチを務めた中西太氏から助言を受けて開眼。入団6年目の2000年には、初めて打率3割を記録しました。WBCでも勝負どころでタイムリーを放ち日本の優勝に貢献するなど、勝負強さも兼ね備る打者に成長しました。
座右の銘は「
球道即人道」。PL学園時代の恩師、中村順司監督(65)が使っていたもので、「日常がいい加減だと、野球もいい加減になる」と自信を律し、04年アテネ五輪、08年北京五輪では、日本代表のキャプテンとして奮闘。現在も強いキャプテンシーを発揮し続けています。
以下は宮本のコメント。
(2000本安打を達成して)
「ホッとしたのと、満員の神宮球場で打つことができて、本当に幸せです。とにかくピッチャー返しということで打席に入ったので、抜けてくれて良かったです。正直、焦りもありましたし、精神状態ができていない部分もありましたけど、残り4本ぐらいから楽になりました。」
(入団時のスカウトだった小川淳司監督の下での達成だが?)
「プロ野球の世界に導いてくれた方なので、その人の下で2000本という素晴らしい記録を達成できて、縁を感じます。」
(ヤクルト同期入団の稲葉篤紀と同じ試合数での達成だが?)
「稲葉選手とは若いころに苦しい練習をしてきましたし、同じ年に、同じ試合数で達成できたということで、一生付き合っていきたいと思います。
(両親に)
「小さいけど、強い体に生んでくれてありがとう。野球一本でいけるように協力してもらいました。カープファンの方もたくさんの声援、ありがとうございました」

彼のキャプテンシーは尊敬に値し、憧れでもあります。プロの世界では”スーパー脇役”かもしれませんが、それゆえに価値ある2000本安打達成です。おめでとう宮本!
明日こそ行くぞ、神宮へ!